Journal

ハワイに住むという事1

  |  12.05.17
僕はラッキーな事に、ハワイにほぼ4年間住むことが出来た。2001年の12月から、2005年の12月までの約4年間だ。

時期的なことも含め、かなりレアで、ちょっと綱渡りな経験なので、思い出しながら書き留めておこう。

2001年9月、いつものようにマウイの定宿となっていたコンド、Palms at Waileaに滞在していた。
Palms.jpg

ここは、結構広い作りのコンドミニアムで、リーズナブルな価格で別荘感覚で使用できるので、4ヶ月に一度、ここに一週間ほどボケーッと過ごしていたのだ。(今でも、1泊2万円弱で宿泊可能のよう)

ある朝起きて、TVをつけると何か様子が違う!そう。その日とはまぎれもなく9月11日。

繰り返し旅客機がWTCに突っ込む、あの映像が繰り返し流されていた。
阪神大震災の時もそうだけど、あまりにも非日常の映像とか見せられると、まるで映画のようにしか感じられなくなる。

このマウイでの経験とその後のワイキキの様子はまた別の機会に書くとして、、、

この数日後、色々あったにせよ、予定通りの行程で帰国できた自分は、ビザ獲得用に用意していた様々な書類や「レター」と呼ばれる推薦文などの一式をまとめて大阪の領事館へ送付したのだが、(今となっては当然のことながら)無期限のクローズ状態。最高レベルでの危機管理状態なので、全く再開の目処もない厳戒態勢。
その為、書類審査すら行なっておらず、数日後送った書類はまんま手元に返ってきた。

一ヶ月ぐらい経ったら、窓口業務も再開するでしょう・・・なぁ〜んて、甘い考えでいたら大間違い。
なにせ、戦争準備に入っている国が、そうやすやすとセキュリティー・レベルを下げるわけもない。

本当にハワイという外国に移り住んで、日常生活できるものなのか?そもそも仕事はあるのか?
そんなことを、まずは、1年間学生として、リサーチしたりするつもりだった。

しかし、例え語学学校であったにせよ、I-20という学校側の受入許可証が必要で、その許可証があって初めてF-1という学生ビザが発給される。
従って、I-20を取得していても、その先が進まなければ、学生ビザは手に入らない。

僕のすべての運命は、アメリカ合衆国の国防省に握られた感じにさえなってきた。

11月には住む家を決めに、再度ホノルルに渡ることもほぼ決まっていたし、翌年1月から始まる語学学校の入学手続きもほぼ完了していた。
しかし、ビザはない、、、

大阪での仕事も、一応一区切りをつけて、最低でも1年間、ぼくが居なくても進む感じにはセットアップしていた。
しかし、ビザはない、、、

学生ビザが手に入らない以上、観光ビザでしか最長90日までの滞在しかできないし、学校に通ったところで、週20時間以下の授業しか受けられない。

日々、アメリカ領事館のサイトをチェックしつつも、何も動きがないまま11月が迫ってきた。
家すら決まらなければ、その後のハワイ暮らしさえもが叶わない気がしてきて、予定通り、11月には住む家を探しに出かけた。

紹介された日本人の不動産屋に「ワイキキには住みたくない」と言うと、「奥さんはノイローゼになるよ!」って脅された。
それでも、一晩中、しかも毎日、お祭り騒ぎに終始するワイキキには住みたくなかった。
地元新聞のクラシファイドに掲載された物件を何件か見、友人のアドバイスで良さ気なコンドの掲示板を直接見て歩いた。

すると、程なくダウンタウンの山手にある、静かめなコンドに2ベッドルーム貸しますの張り紙が!!
すぐに、そこに書かれた電話番号に電話をすると、日系人の大家さんがやってきてくれることになった。

大きめのリビングと2つのベッドルーム、そして2つのバスルーム。パーキングロットはベッドルーム数に比例するので、2台分あった。
Brookside.jpg
更に、1Fには共同とはいえプールとジャクージ。
そして、BBQコートと一度も使うことのなかったジムまであった。
日本では考えられない設備だったが、値段がとてもリーズナブルだったので、その部屋をほぼ即決で決めた。
55 S.Judd St. Honolulu HI. 96817 Nuuanu Brookside

一つ目の山は、なんとかクリアした気がした。